東京高等裁判所 平成10年(う)146号 判決
被告人 野崎末治
〔抄 録〕
ところで、前記2の(1)及び(2)認定のように、本件において、被告人が、夜間、繁華街の裏通りで、警察官二名から職務質問を受けた際、前歴照会により自分の薬物関係の多数の前科が判明するに至り、被告人も、そのことを察知したものと窺われる。そして、被告人は、額の辺りに汗を浮かべ、そわそわと落ち着きのない態度をとり、警察官から携帯品以外の所持品を出すよう説得されてもこれに応じないで、現場を立ち去ろうとするなど、不審な挙動をとり続けていたのである。さらに、被告人は、もう一台パトカーがやってきて、警察官四名から説得を続けようとされるに至るや、突然、右手をズボンの右ポケットから出して何かを口の中に入れて歩き出そうとしたものである。したがって、このような当時の状況及び被告人の挙動に照らすと、被告人が、ズボンのポケット内に隠匿所持していた薬物について、警察官らによる発見押収を免れるためにこれを飲み下そうとしたことが外形的にも明らかである。
そして、警察官らにおいて、被告人が口に入れた物を出させようとした行為は、前記2の(4)認定の当時の警察官らによる発言内容からも明らかなとおり、被告人が口に入れた薬物を確保することによりその薬物所持の嫌疑を確かめると共に、薬物を飲み下すことにより被告人の生命、身体に生じ得る危害を未然に防止しようとしたものであるところ、被告人が薬物を今まさに飲み下そうとしている状況に照らすと、被告人の口の中から薬物を取り出す緊急性、必要性は高度のものであったということができる。
もっとも、警察官らが被告人の口の中から薬物を取り出そうとした際には、前記3認定のとおり、被告人の上顎部付近に対し、抜歯ないし歯牙の折損を伴うような相当強い力が作用し、その結果、架工義歯にはまっていた左上第一大臼歯が歯根部から抜け、同じく左上犬歯の歯冠部が歯根部を残して折れたのであって、被告人の受けた法益侵害も決して軽微なものではない。しかしながら、このような相当強い力が生じたことには、被告人が首を激しく振って抵抗したことも少なからず寄与したことが窺われるのである。しかも、右のとおり、被告人の口の中から薬物を取り出すべき緊急性、必要性が高度であったことも考慮すると、右行為により保護される利益と害される利益との間で権衡を失するともいえない。すなわち、以上のような本件の事実経過に照らせば、本件において警察官らがとった行為は、警察官職務執行法二条一項の職務質問に附随する行為として相当と認め得る範囲内のものであったということができるのである。
6 以上のとおり、本件において警察官らの行った所持品の検査や、口の中から一号物件を吐き出させたという一連の行為は、適法なものであり、さらにそれに引き続く被告人の逮捕及びそれに伴う本件覚せい剤の押収手続は適法であったと認められるのである。したがって、本件覚せい剤を証拠として採用し、これを根拠として原判示第二の事実を認定した原判決には、所論のような判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反はない。論旨は、理由がない。
(松本時夫 中谷雄二郎 高橋徹)